大和ミュージアムでの見学も終わり、今宵の宿(宿泊20日前では広島市内で宿を探すのはとても難しくて、東広島のビジホをやっと探し出した)に向かおうと呉市街地を走ってたら、信号待ちで何やらヘンな橋脚はっけん~
JR呉線の単線用のプレートガーダー橋のH型した鋼製橋脚、リベットごつごつなので新しいモンではないことは一目瞭然 撮影は北西側(呉側)から。
「めがね橋」って交差点だが、現在ソレっぽいアーチ橋はない。過去にこんな石造りのアーチ橋があったらしいが埋められてる。
Hの字の横棒で向こう側(三原側)からの厚いガーダー桁を受け、Hの字の垂直線上端で呉側の薄い桁を支えてる、みょうちくりんなヤツ… しかも桁に対して直交してないしw
ってコトまでは信号待ちの間の僅かな時間で分かったが、ガーダー橋や橋台等は暗くて不明。思わず探索したい衝動に駆られるが、もう18時回って暗いし、宿まであと1時間ぐらいかかりそうなので諦めた(残念
で、日を改めてストビューで探索www(ホント便利な世の中w
全体見て、三原側からRC橋梁→上路ガーダー橋→跨道部分の桁下高さを稼ぐために薄いガーダー桁(下路ガーダー橋)にしたような印象を受ける。
三原側:桁下高さ4.0m 跨道部分:桁下高さ4.5mの表示あり (国道直上の跨道橋の桁下高さは現在の道路法令では4.7m以上と思う。
ガーダー橋は道路に対して斜めに架橋されてるし、道路は単純に十字に交差してるのではなく、三原側がHの字に二本の道に分かれているような変則交差点
架橋は斜橋なのか、斜めに掛けた直橋なのかはストビューからは不明だが、ふたつのガーダー橋を「くの字」に架橋することで軌道の曲率を確保してる。くの字の真ん中の交点がH型の橋脚となる。
驚いたのは撮したH型の橋脚だけではなくて、三原側にか細い橋脚2本。互いに接続されてるワケじゃないので、コレでは単なるつっかえ棒???
道路のHの字の線形に合わせて出来たごく小さい中州見たいな余地に1本ずつ鋼製の橋脚が設けられている。しかも橋脚どうしの位置はガーダー桁中心線に対して直角を成していないwww
呉側の橋台もガーダー桁を斜めに支えてるし、
三原側の橋台に至っては道路に沿って設けられているので、桁に対して無茶苦茶な角度が付いてる!
立地を考えると、こうしか施工できなかったんだろうか? おっつけ仕事的で笑えてくるよwww
さて、この橋梁が造られた年代だが、呉線は1903年(M36)に海田市駅 - 呉駅間が開業、1935年(S10)に呉駅以西に延伸したので、昭和の頃の竣工で間違いないと思う。
14-00
そこで、戦後1947年頃の航空写真見てみる。三原側の橋脚付近は、建物がなく空き地か道路のように見える。三原側の鋭角橋台の直ぐ脇には線路に沿って細長い建物がある。
二本のか細い橋脚はその影がちゃんと映ってる。
道路に面したH型橋脚の形状や道路に平行とした向きはわからんでも無いが、2本の単なる柱状の橋脚の必然性が分からんわな…
北西側から来る道路の延長上に、か細い橋脚が通行の邪魔にならないように真っ直ぐ揃うようになってるようにも見える。
三原側の上路プレートガーダー橋には銘板らしきモノが写ってる。さすがに拡大しても解読不能w
またRC橋梁に見える三原側の橋台を含めた高架部分、今は高架下に住居や倉庫が設けられてるが、1947年時点では橋脚の影が覗えることから、高架下には何もなかったと思われる。
電化の際(1970年 S45)の架線柱が後付けっぽいので、この高架も延伸時のままなんでしょうか?
ネット漂っても、この事に言及してるサイトにはお目にかかれなかった(謎
メチャ不思議な橋脚たち… もう一度じっくりとこの目で見てみたいよw
って、また一枚撮っただけで、よくコレだけ語れるなー
PS
また、写真には納められなかったのだが、気になった物件を…
トラスの水道?橋と煉瓦小屋
堺川を跨ぐ呉線橋梁 手前側が呉線本線 向こう側は旧引き込み線で現在は人道橋?(に見える… とにかく橋脚が乱立
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二河川を跨ぐ呉線橋梁 煉瓦橋脚に見えた。
ま、呉は1890年(M23)に呉鎮守府が開庁された古くからの軍港、直父が吸収できそうな、滋養強壮成分がたくさんあるよ。もうちょっと下調べしてから訪問すべきであったな(反省
死ぬまでに、もう一度訪問しよう!!